初音ミクでフォーレのレクイエム(その2)

(前回の続き)

ガブリエル・フォーレ(1845年〜1924年)はフランスの作曲家。フォーレを知らない人でも、『ペレアスとメリザンド』の「シシリエンヌ」や、歌曲「夢のあとに」などは「あー、これ聴いたことあるなぁ」と思うはず。これらはとても甘く美しいメロディですねぇ。


ボクはもうフォーレが大好きなんです。音楽もそうだけど、なんてったってカッコイイんですよ、フォーレ。いろんなエピソードがあって、そのあまりのカッコよさにシビれまくりです。

■教会のオルガニストなのに朝帰り

フォーレは宗教音楽学校を卒業して教会オルガニストになります。この経歴をみると、「きっと敬虔なクリスチャンなんだろうなぁ」と思いきや、実際は遊び人だったみたい。
上流階級の集うサロンにも出入りしていて(今風に言うとセレブのところにお呼ばれ)、これはホントかどうか怪しいけど、ある時サロンからの朝帰りの服装(ピカピカの靴に白いネクタイという教会オルガニストにあるまじき恰好)で朝の礼拝に向かい、その教会を首になってしまったりも。
でもこの才能を放っておくわけにもいかず、いくつかの教会でオルガニストをやり、最終的にはフランスでオルガニストにとっては最も権威があるというマドレーヌ教会の正オルガニストに着任。んー、すごい。

■困ったら弟子任せ

フォーレ鍵盤楽器や弦楽器は大得意なんだけど、管楽器は苦手だったようで。じゃオーケストラの楽譜を書くときはどうするのか?っていうと、フォーレは管楽器とかは弟子や仲間に任せちゃうんですな。自分で頑張って悶々としたりしない。いい加減というかテキトーというか…。
こういうところはドイツ人のシューマンの対極にある感じだなー(ボクのイメージ的に、ですよ)。弟子に任せちゃうフォーレと、スコアがめちゃくちゃになっちゃってもオケスコアを頑張って書くシューマン。浮気して子ども作ったリ、いつも愛人と一緒にいるフォーレと、一人の女性への愛に生きるシューマン。うーん、どっちもいいw 

ちなみにシューマンも大好きです。ブラームスの才能を発見し、その成功の手助けをするんだけど、後には妻・クララとの浮気を疑ってしまい思い悩む…。う〜ん、ロマンチスト・オブ・ロマンチストですよシューマンは。

■結構テキトーな感じなのに、上からも下からも頼りにされる

教会での儀式中もこっそり抜け出してタバコ吸ったりしてたフォーレですが、一方でものすごい人望があったようで、いろんな人に頼りにされます。
まず、1871年に師匠のサン=サーンスに声を掛けられ「フランス国民音楽協会」の設立メンバーになります。戦争でドイツ(プロイセン)にボロ負けしたフランスの音楽家たちが「フランス国民の音楽を盛り上げよう!」ということで立ち上げた団体です。当時26歳ぐらいのフォーレだけど、すでに音楽家としての地位は確立していたっぽいですね。

それから20年ぐらい経ってマドレーヌ教会のオルガニストになったフォーレは、パリ国立音楽院という学校の教授を兼任することに。ところが、1905年にその音楽院で重大なスキャンダルが発生して(ラヴェル事件)、学校存亡の危機がやってきます。そのとき、その危機を救うべく白羽の矢が立ったのがフォーレで、その音楽院の院長に就任し、政府からの支援を背景に音楽院改革に大ナタをふるいます。

女ったらしで、浮気しまくりフォーレだけど、決めるときはビシっと決めるんだよな〜。

例えば、当時その音楽院の入学試験では、そこの教員がプライベートで教えている生徒を優遇する裏口入学があったのをやめさせるために外部の審査員を導入しようとします。当然反発もあって、抗議でやめる教員なんかも出たんだけど、フォーレ引かぬ!媚びぬ!顧みぬ!の精神で断行。結局やりきって、そのまま15年間、引退するまで院長を続けると。仕事のできる男・フォーレ

また、1909年には、ラヴェルやケクラン(フォーレの『ペレアス〜』のオーケストレーションをやったのはこの人)を筆頭とする若手音楽家が、先の「国立音楽協会」はもう古臭い!ということで「独立音楽協会」というのを立ち上げるんだけど、彼らはその協会のトップをフォーレに依頼する。頼られてんなー。
でも、さすがにそりゃ無理だろ、フォーレは国立音楽協会のメンバーだし、、、と思いきや、それを引き受けてしまうフォーレ。老境に達していたフォーレは若手の音楽家たちのことが気にかかっていたようですね。そしてフォーレの凄いところは国立音楽協会の人たちとも仲違いしないところ。こういうところが大好きだなー。

■偏狭なナショナリズムにはノン

1914年に世界第一次大戦が始まると、フランスではサン=サーンス(前述のとおりフォーレの師匠)などが「ドイツ人の音楽を演奏するな!」と言い出すけど、「音楽に国籍とかカンケーないじゃん」と反対します。さすがフォーレはどこまでもカッコイイ。
でも、戦争以前にフォーレがドイツ人の音楽批評家からあんまりいい評価を受けなかった時は「そりゃそうだ。フランス人とドイツ人は違うもん」などと言ってたりもするんだけどw
もうね、フォーレのこういうところがたまらんですねー。


(まだ続く)